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渇望してみる

自由とはなんだろう。

多分、自分の中でも最重要課題?のひとつ。
なにげなく、思うのだ。
ああ、自由になりたい。心から自由だと心が弾むような、狂ったように緑の中を
飛ぶ蝶のように、無邪気に感じてみたい、と。

多分、こう考えることは私にとってセラピーでもあり、悲劇でもあるように思う。

思えばよくも悪くもこんな人生になってしまったのは、私が自由というものに
振り回され、続けたからに他ならない。
どんな風にそれを定義するのかなんて、それこそ自由なのかもしれないのに
私は何故か今も昔もこれを追いかけている。
別に自分が自由でなかったと誰かを攻める気もなく、むしろ回りには好き勝手
にさせてもらったと感謝しているくらいなのだけど、それでも足りない、というか
よくわからないけど、渇望している。

そう、どうでもいいけどwanderlustっていう単語が私にはぴったりだと思う。
ある時、自分の好きなミュージシャンの曲名がこの単語でして。
意味がわからなくて、電子辞書を引いたら、
「放浪への渇望(衝動)、漂泊への思い、旅心」(リーダーズ英和辞典)
とある。
なんて、、私にぴったりなの!響きもステキ!と妙に感激したのを覚えている。
バンド名とか前衛芸術集団とか、何かのチームを結成する時は間違いなく
候補として上げたい(いずれのチームも結成予定はないが)。

で、何が自分にとって自由なのだろう、結局具体的には何を求めているのか?
とひとりで勝手に連想ゲーム。

いつでもどこでも旅行に行けるお金と時間があること。
(そんなワガママをしても、飢え死にしない経済力を持つこと)
もっといろいろな世界を見たくて仕方ない。
わお、って感動が絶対にあるはず、それを見なければ…(このままでは死ねない)
というか、やはりいくらグローバルとか言っても、私の頭は全然グローバルでは
ないと思う。
グローバルじゃなきゃいけないことはない、ローカルだって悪くない。
だけど、私は可能性のある選択肢は全て吟味?したい性格なので。

ちょうど1年前いった、ロンドンとパリで思ったことは「なんでもあり、だ」
ということ。(といってもロンドンとパリは3回目、回りには呆れられた…)
自分たちの常識は全く常識ではなく、彼らの考える常識は私たちの常識では
ない、という事実。
なんで今、私はここにいる?なんで明日、会社に行く?
そんな日常を疑い出したら、切りがないというかむしろ気が狂うかもしれない
けど、自分は自分にそれを問いただしたい性格なのだと思う。
ほんとに?それがあなたの人生なのか?と。

と、話を戻して。
それに日本は破綻するかもしれないから、将来移住する可能性が真剣にある。
日本は故郷だが、いざとなれば香港でもストックホルムでも生活できるように
経済的基盤と人脈と英語力をつけておかないと…。

そして生活は晴耕雨読が理想。
ほどほどの田舎で(本屋とCD屋は近所にないと困る)緑に囲まれて、庭には
わーっとハーブを植えて、庭にテーブルおいて、その青空の元でパソコンに
向かってお仕事、なんてのが理想。
ネットという極めて最先端?!なことに足を突っ込みつつ、自身の生活は
農耕民族の名残みたいな質素な生活がいい。
仕事が一段落したら、3ヶ月とかプイっと旅に出る。

となると、働き方を問われないフリーとか独立型になる?
でも多分、経営のセンスはないからほどほどに生活費を稼げる程度のフリー
として食っていけるようにならんといかんね。

と、こんなんが自由の具体例?
うーん、眩しいくらいの理想論だな、、、
そして、自由とかなんとか掲げてみてもなんだか、とっても生活臭?のする
夢だな、と自分で可笑しくなってしまう。あはは、と。

さて、これをどこまで実現できるかは私の腕次第。

でも多分、自由を感じる方法はいくらでもある。
瞑想すること、祈ること、空を仰ぐこと、森林浴すること…
だから、今書いたことが全て現実にならなくても、私は自分を攻めない。
それは努力から逃げる、という意味でなくて、まずは今こうして書けること、
自由とは?なんて妄想できること自体がやはり幸せだし、自由だと感謝
しなければならないと思うから。

そうです、私は最近なんとなく言えるようになりました。
私は幸せだ、と。
(別に何かの宗教に入ったわけではございません)

私には何もありません。からっぽです。
それが有り難く思えるようになったのだと思う。
そのへんに転がる石ころみたいな自分でよかったと。

持たざるものの、自由というか、そんな感じでしょうかね。
でも、自由、今後とも求めていきます。

余談ですが、オアシス好きの私としてはwhateverのシングルジャケット
の草原が実在するならば、いつか行きたいと思っている。
「おれは自由なんだ」と歌った、あの歌をあの草原で歌うのが夢(笑)
でも、それを想像するだけで十分幸せだ…


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2009.02.23 | | Comments(0) | Trackback(0) | 未分類

再生、なるか

このブログは一度閉鎖していた。
別のブログを始めたら、そっちの方がメインになってしまったのだ。

もっともこのブログは初めてブログというものを作ってみた、いわば実験的な
要素もあった。
というか、単によく方向性を決めないでいたので、なんだか何のために
書くのかよくわからなくなり…つまり書かなくなった。

で、別のブログはしっかりとした明確?な方向性があるので、それはそれと
して、こちらはどうしようかな、としばらく放置していたのだけど、再開?
してみようかと思うようになった。

全てを削除してしまってもいいかなーとも思ったのだけど、紙に書いていない
分、なんだかクリックひとつで全てが消えてしまうのも悲しい。
だから、徹底的?に何の目的もなく、推敲することもなく、単につらつらと
書いていくブログにしようかな、と思うに至った。
本当は紙に書くのがベストなんだろうけど、どういうわけか、最近
人並みに?タイプが早くなり、下手すると字を書く方が遅いかも…と思い、
ひとまずこちらに打ち込んでみることにしてみる。

とか、前置きはどうでもいいのだけど。

最近はひたすら、祈ることの意義について考えていた。
祈ることを私はしなくなった頃から、何か狂い出してきている…
そんな風に、戻ることのない過去を振り返っていた。

なんて書くといかにも信仰心が深そうな印象を持たれるかもしれないが、
私自身は神はいると思うが、その神とは…の詳細は問わない、といった
スタンスでいる。
スタンスというか、そんな偉そうなもんじゃなくて、わかりやすくいうと多神教
なのかもしれない。
山に向かっても祈るし、好きな音楽を聴いた時、神の気配を感じたことも
ある。

祈る、その行為は幼稚園か小学校くらいからだったと思う。
いつの間にか勝手に始めた。理由はわからない。
もちろん親はそんなこと知らない、むしろ親はそういう信仰はどちらかと
言えば、興味がない人間であった。
テストでいい点が取れますように、とか怖い夢を見ませんようにとか必ず
自宅から見える遠方に山の方向に向かって祈ってから寝ていたのだ。

これは結果論かもしれないけど、今思えば祈っていた時代というのは
いろいろあったとはいえ、なんだかんだ言ってまともだったように思う。
一番違うのは人生に対して前向きだったこと。
そう、祈るのを止めてから、そのくらいから自分がわからない、世の中が
信じられない、といった非生産的な厭世的な人間になっていった。
当時の私の口癖は「自分のことが信用できない」。

これは単なる憶測なのかもしれない。
だけど、なんとなく感覚として、今の私に欠けていることってこれかな、、
という感じがしてならない。

私は宗教に疎い人間ではあるが、祈る、ということの持つ影響力は
すごいと思っている。
人を生かし、同時に殺す威力を持つと思う。
(世界を見渡してみればそう感じる)

何か特定のものに対してではなく、自分自身と向き合うこと、それが
今の私の祈りに向かう姿勢。
ある意味、自己暗示なのだ。
外的要素を変えるほどの力を私自身が持っているとは思えない。
だからこそ、コントロールのできる自分が変わっていこうと思う。
それが祈り、なのだと思う。

いろいろと考えるとため息もつきたくなる。
だけど、自分が希望を失ったら、自分を救えるのは自分しかいない。
だから絶対に希望は失わない。
どんなことがあっても、自分を守り、生き抜く。

そのために今日も祈る、明日も。

2009.02.22 | | Comments(0) | Trackback(0) | 未分類

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プロフィール

Erja(エルヤ)

Author:Erja(エルヤ)
Webデザイナー。
時々ライター。

思うことをただ書き綴る。
音楽と本の話題が中心。

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