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再生、なるか

このブログは一度閉鎖していた。
別のブログを始めたら、そっちの方がメインになってしまったのだ。

もっともこのブログは初めてブログというものを作ってみた、いわば実験的な
要素もあった。
というか、単によく方向性を決めないでいたので、なんだか何のために
書くのかよくわからなくなり…つまり書かなくなった。

で、別のブログはしっかりとした明確?な方向性があるので、それはそれと
して、こちらはどうしようかな、としばらく放置していたのだけど、再開?
してみようかと思うようになった。

全てを削除してしまってもいいかなーとも思ったのだけど、紙に書いていない
分、なんだかクリックひとつで全てが消えてしまうのも悲しい。
だから、徹底的?に何の目的もなく、推敲することもなく、単につらつらと
書いていくブログにしようかな、と思うに至った。
本当は紙に書くのがベストなんだろうけど、どういうわけか、最近
人並みに?タイプが早くなり、下手すると字を書く方が遅いかも…と思い、
ひとまずこちらに打ち込んでみることにしてみる。

とか、前置きはどうでもいいのだけど。

最近はひたすら、祈ることの意義について考えていた。
祈ることを私はしなくなった頃から、何か狂い出してきている…
そんな風に、戻ることのない過去を振り返っていた。

なんて書くといかにも信仰心が深そうな印象を持たれるかもしれないが、
私自身は神はいると思うが、その神とは…の詳細は問わない、といった
スタンスでいる。
スタンスというか、そんな偉そうなもんじゃなくて、わかりやすくいうと多神教
なのかもしれない。
山に向かっても祈るし、好きな音楽を聴いた時、神の気配を感じたことも
ある。

祈る、その行為は幼稚園か小学校くらいからだったと思う。
いつの間にか勝手に始めた。理由はわからない。
もちろん親はそんなこと知らない、むしろ親はそういう信仰はどちらかと
言えば、興味がない人間であった。
テストでいい点が取れますように、とか怖い夢を見ませんようにとか必ず
自宅から見える遠方に山の方向に向かって祈ってから寝ていたのだ。

これは結果論かもしれないけど、今思えば祈っていた時代というのは
いろいろあったとはいえ、なんだかんだ言ってまともだったように思う。
一番違うのは人生に対して前向きだったこと。
そう、祈るのを止めてから、そのくらいから自分がわからない、世の中が
信じられない、といった非生産的な厭世的な人間になっていった。
当時の私の口癖は「自分のことが信用できない」。

これは単なる憶測なのかもしれない。
だけど、なんとなく感覚として、今の私に欠けていることってこれかな、、
という感じがしてならない。

私は宗教に疎い人間ではあるが、祈る、ということの持つ影響力は
すごいと思っている。
人を生かし、同時に殺す威力を持つと思う。
(世界を見渡してみればそう感じる)

何か特定のものに対してではなく、自分自身と向き合うこと、それが
今の私の祈りに向かう姿勢。
ある意味、自己暗示なのだ。
外的要素を変えるほどの力を私自身が持っているとは思えない。
だからこそ、コントロールのできる自分が変わっていこうと思う。
それが祈り、なのだと思う。

いろいろと考えるとため息もつきたくなる。
だけど、自分が希望を失ったら、自分を救えるのは自分しかいない。
だから絶対に希望は失わない。
どんなことがあっても、自分を守り、生き抜く。

そのために今日も祈る、明日も。

2009.02.22 | | Comments(0) | Trackback(0) | 未分類

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Erja(エルヤ)

Author:Erja(エルヤ)
Webデザイナー。
時々ライター。

思うことをただ書き綴る。
音楽と本の話題が中心。

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